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カケチュム 「○○×(かける)チュム춤」 管理人Narimorがチュムと日常の出来事を掛け合わせて綴るブログです。 kakeChum. 「○○ × (multiplied by) Chum(dance)」. This is a blog written by the concierge Narimor by multiplying Chum and daily life.

海老反りの我慢

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内視鏡検査をした。胃カメラである。わりかし穏やかで健やかな日々を過ごせている今日この頃なので心身に不調は感じられないが、会社の健康診断なので避けられない。小指ほどの太さのスコープを口から挿入する。胃に穴が空いた20代の頃から合わせるとかれこれ10回近く経験しているが、その都度結構落ち来む。

無機質な検査室、無駄な動きを一切省き淡々と検査の準備を進める完全防備の看護師さんの指示に従う。睡眠導入剤は使わない検査方法を選択しているので、まず大きく口を開けると喉にシュッシュと麻酔スプレーを噴射された。そして身体の左側を下にしてベッドに横になるよう指示され、差し出されたマウスピースを上下の前歯でしっかり噛み合わせると、口からスコープが挿入された。

咀嚼できない物が入ってきた喉の違和感から始まるオエっのもだえる旅が、今回もやはり展開された。細い固いホースがどんどん体内へ伸ばされていく。ホースは喉を下り、食道から胃、そして十二指腸へと這いつき滑りながら所々で蠢きもして、クライマックスは胃に空気を送り込み風船のように膨張させられた胃を一通りスコープでぐるっと観察したら往路はその目的を遂げる。

復路の始まりは、膨張したその風船を収縮することから始まる。やる気のない無抵抗のゴムボールさながらの胃はされるがまま膨らまされたり萎まされたりして、配置された定位置から外され胃はSOSを描くように揺さぶられる。描かれるSOSは神経質な高音の連打と化しお腹の低い位置から響かせる。そして固いホースは来た道へスルスルっと逆走していき喉元で大きくつっかえ、ポン!と口から抜け出ると全旅程が完了した。

この検査中、途切れなく激しく私はオエっとなっている。吐き出すほどに増していく連打の強度から響き渡る振動で身体は熱がこもっていく。そんな身体とは反対に、頭はどんどん冷めていく。毎回このパターンである。激しくオエっとなりながら冷めた頭でマウスピース越しに看護師さんへ伝える。騒いですみません。。どうしようもないんです。。オエっ。。にっこり寄り添ってくれる看護師さん。ありがたい。温かい。オエっ。。申し訳ない。全てがスマートでクールに整えられた検査室をかき乱し続ける私の独り騒ぎに、落ち込む。

オエっと共に海老反りしたくなる背骨とその周辺の筋肉運動を何とか食い止めることは、とても苦痛であった。出てこようとするものを出てこないように自力で止める運動は、出てこないものを出るように自力で押し出す、吐き出す、運動よりもはるかに難易度が高いと思い知らされる。在るがままに噴出できたらもっと楽だろうに、今それは堪えて我慢しなければならない。なぜって、検査が進まないから。

状態がどうであれ内から外への動きは、流れに沿って出てくるイメージである。耐えに耐えて決壊した堤防から一気に流れ出てくる川の水のように。小さく固いつぼみが花ひらいてくように。想像するにとても気持ち良さそうである。自然の順理であるように思う。

一方、内から湧き出てきたものを内に押し帰すということは、砂と水の配分が微妙な、今にも崩れる泥んこの山に掘ったトンネルに手を入れ、トンネルの壁が崩れぬようにと手を当てて保っている状態のようだ。トンネルの壁が崩れないように低い変な姿勢で必死に手を伸ばし押さえている。崩れるのは避けられないけど崩したくない。もどかしいしどことなく残念な様子である。でもこれは何だか可笑しい。

はたまた出てこようとするものを出てこないように自力で止める運動とは、息を潜めながら涙腺に溜まり続ける涙に似ていると思う。これは希釈前の危険物の原液のようでもあると思う。希釈されないと危険なのだ。そのままの状態では危険なので、手間をかけ害にならないように工夫が必要な状態である。こちらもまた想像してみるに、もどかしいのだが、発火しないよう違う銅線をつなげ感情を潜らせたように、とても冷静な対処が必要になり、それには揺るがない芯が働いているように感じる。逆に順理に沿うことがなんて楽なんだろうと思わずにはいられない、そんな運動であると思う。

おそらく、悶えている私に寄り添ってくれた看護師さんは、たくさんの経験上知っているだろうと思う。オエっと共に海老反りしたくなる背骨とその周辺の筋肉運動を何とか食い止めようとしている私を、順理通りとは別の通りを歩き好んで落ち込んでいる人とか。それともオエっの瞬間の身体の反応を観察すべく全神経を無駄に澄ましている人とか。いずれにせよどうでもよく残念な様子であったろうと思う。

コロナウィルス感染防止のため一切合切が消毒され生気が息をひそめ配置されている検査室で、挿入された異物に刺激される体内の感覚と、それを震源とする違和感の波紋が起こす身体の反応を確認している自分がいた。意志とは別に騒がしくしてしまい無機質な空間が乱れてしまい申し訳なかったが、年に一度味わえる不思議な身体の感覚に満足している。そして年を追うごとに積まれた身体の記憶で、オエっとなりながらもその久しい感覚に懐かしくも嬉しくもなったりする。最後には落ち込んでいるのだが。

もし、この胃内視鏡検査をするのに全身麻酔を選択していたらなら、寝ている間にこの全てが終わってて、損した気分になってただろう。