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カケチュム 「○○×(かける)チュム춤」 管理人Narimorがチュムと日常の出来事を掛け合わせて綴るブログです。 kakeChum. 「○○ × (multiplied by) Chum(dance)」. This is a blog written by the concierge Narimor by multiplying Chum and daily life.

月夜の踊り

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 先日の月食


先日の月食

限りなく皆既月食に近い部分月食とあり日本では140年ぶりの現象だったとか。

通り過ぎる建物の間から見え隠れする月に視線を送ったまま機敏に頭を左右へ動かし月が欠け始める様子を見上げいた夕暮れ時の移動の中。そこから太陽ー地球ー月が直線に並んだ瞬間からまた各々の軌道でゆっくり流れていく時間を、ベストな角度でセッティングされた年季の入った天体望遠鏡とその場を提供してくれた地元の科学センターの屋上で過ごした。

山々に囲まれ冷え始めた家々からの灯りが見下ろせ、遠くには昔の栄華を話したそうにライトアップされたお城が寂しく浮かんでいた。この時間この場所の日常からしばし夜空の世界へいざなわれるために演出されたような夜景であった。

クレーターまでクリアーに確認できるレンズ越しのクローズアップの月と、レンズから目を離し肉眼で見上げると輪郭がにじむ遠くの月とを交互に見比べながら、太陽の光と地球の影に包まれながら超スローモーションで変貌していく月の瞬間を見届けた。

大きな空の小さな星、周る月、散りばめられた粒の輝きたち、見上げる宇宙のギフトに流れる記憶が繋がっていく。

古今東西、月にまつわる話が語り継がれているのは、日々変貌する姿で夜の空を特別なものにしてくれる月に刺激された人々の想像力が黙っちゃいなかったのだろうと想像に難くない。

呼び起こされるチュムの物語をたどってみる。月夜の祈り。捧げられる歌と踊り。手に手をとり心を合わせる人々。輪舞。カンガンスウォルレ。

満月の夜、女性たちが手をつなぎ歌いながら踊った輪舞、カンガンスウォルレ。月のようにまん丸な円を描きながら夜通し歌い踊る女性たち。満月の夜に夜通し踊り続けるとなると、その状態を想像してみるに、これはトランス状態を楽しむ女性のための輪舞だったのではないかなと思ったりもする。この輪舞の構造やトランス状態への突入など思うと盆踊りが連想される。カンガンスウォルレは右回りだが地元の盆踊りは左回りである。盆踊りは地域によって右回り・左回りがあるそうだ。ともあれ、カンガンスウォルレと盆踊りは似た構造の輪舞であると思った。そしてシンプルな振りと歌で誰でもすぐに踊れる気軽さと楽しさ、そして輪の一体感。カンガンスウォルレも盆踊りもまたそうである。

大きな違いは踊る人にある。盆踊りは老若男女が混じりあい踊っている。しかしカンガンスウォルレは女性のみが踊る。そしてカンガンスウォルレはみんなで手を握り輪を作り踊る。一方盆踊りは同じ振りを一人一人がそれぞれに踊りながら輪を進んでいく。同じ輪でも見るからに身体の距離感が違う。距離という美学的特徴が月夜の踊りにも顕著に表れていることにあらためてうなずかされる。

人々が輪になって進みながら踊り歌う輪舞。色んな国の色んな場面で踊られている輪舞。つながる人と人、結束される輪、広がる交流。言葉の前のこどもの遊びそのものだと思う。

農耕社会で満月は豊穣と生命力の充満を意味した。満月の夜に女性たちが丸い月をまね月を歌うカンガンスウォルレは、自然と人間が平和に共存することを願う儀式でもあった。踊る女性たちは周るほどに荒くなる息とともに緩んだ境界の彼方へと自身を解き放ち、その繋がれた手と手によって上昇する祈りへのシナジー効果を、夜空の月はその輪舞へ優しい波動を送り続けているかのようだ。

満月とカンガンスウォルレ。月夜の最高の瞬間であったろうと思う。人と自然との融合の瞬間である。

そんな呼び起こされたチュムの記憶に心を躍らせながら、それでも冷たい夜風が身にしみる科学センター屋上で見上げた月食であった。